「求めよ さらば 与えられん」

とっても有名な言葉ですね。みなさんもきっとどこかで耳にしたことがあるでしょう。これには続きがあります。

 求めよ さらば 与えられん
 尋ねよ、さらば見いださん。
 門を叩け、さらば開かれん。

これは人が行きて行く上で根本的な考え方の真髄を表す言葉でもあります。これは実は新約聖書の中の一文なのです。

 聖書の中の意味としては、「神に祈り求めなさい。そうすれば神は正しい信仰を与えてくださるだろう」ですが、私はこの言葉の持つ深い深いところは、

「自分の人生で得たいもの、叶えたい夢を達成させるためには、強くそれを願い求めること。そうしなければ何も起こらない。自らが進んで、こうしたいという強い意志と信念を発し続け、一歩前に進んで、自分の可能性の門を自らが叩かない限り、何も起こらない。」

という事だと感じています。つまりポイントは
「強く願い求める」「自ら行動すること」です。

 成功した人、幸せになった人は常に、自ら行動し、こうなりたいと長きに渡ってあきらめずに願い続けた人であるように思います。

 この短い言葉の中に含まれる深い意味合いはとっても大きいと思っています。だからこそ、こうして後世まで残り、語り継がれてているのですから。

 昔は今よりも、夢や幸せになる事は困難な時代だったでしょう。それどころか生活するだけでも大変な時代でした。そうした中にあって、ただひたすらに
「強くこうなりたい」と想う気持ちは現代とは比べ物にならないくらい非常に強いことだったでしょう。

 だからこそ、この言葉は生まれたのでしょう。自らの人生は自らの強い意志を持てば切り開いて行く事ができると、昔の人は直感でこれを悟っていたの違いありません。

 わたしたちはたいてい夢の実現のために、自分の前に立ちはだかる困難を「大きな壁」と捉えているかもしれません、でももしかしたら、それは、壁ではなく大きな扉なのかもしれません。扉は自らは開きません、わたしたちの手で叩かれるのをただひたすらにじっと何年も待っているのです。

 困難に直面したとき、こうありたいと思ったとき、この言葉を思い出してみましょう。あなたのこころを背中を力強く後押ししてくれることでしょう。


 求めよ さらば 与えられん
 尋ねよ、さらば見いださん。
 門を叩け、さらば開かれん。


 人に対して求めすぎることによって、たいてい自分のこころがかき乱されたり、イライラしたりしてしまいます。そもそも自分以外の人間は他人です。それが家族であっても、友人であっても、職場の人間であってもです。

 だから自分が求めることを相手が必ずしもやってくれるわけではない。

 運良く人が自分の求めていることをやってくれたら、本当ラッキーぐらいに思っておけばいい。だから仮に少しでもやってくれたら大感謝と尊敬の念を送るべきなのかもしれません。

 求めすぎなければ、自分のこころをかき乱される事もなく、平和な心持ちでいられるはずです。